お茶の世界は広い

茶畑
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お茶の世界(製茶業)に入って、気がつけば4年弱。まだまだ学ぶことばかりですが、そんな中感じたことを書いておきます。

お茶の世界は広い

この業界に入る以前、お茶とは遠い世界から、日本茶の世界を見ていたときは、煎茶と玉露の違いと言われても、なんとなくしかわからなかったし、煎茶の値段にこんなに差があることもよくわからない、お茶の違いというのがよくわかっていませんでした。お茶の資格
ところが、世界の中に入ってしばらくすると、煎茶と玉露がこんなにかけ離れたものなのか、ということがよくわかるようになりました。

味も作り方も全然ちがう。上級煎茶と下級煎茶もそう。畑の管理から、茶葉の出来栄えまで全く違います。

イメージとしては、地上から星空を見ると、たとえ巨大な銀河でも点の集合にしかみえませんが、いざ(宇宙船で)近づいたら、「あれ、結構離れてるぞ?」と気づき、「あれ、何百キロ以上は離れてそうだ」になり、さらに近づくと「えー、何百光年も離れてる!」といった感じなるのと同じです(想像ですが…)

私も、お茶の世界の広さは、この世界の中に入って、お茶に近づいてから世界の広さに気がつきました。

素人が見る世界と、専門家が見る世界

少し前にネット記事で、とある美大生が「美大に通ってない人が美術館に行って何が楽しいかわからない」といった趣旨をツイートしており記事が炎上していました。

確かに、例えば、絵画は、その画家の特徴や歴史背景などを理解した方が何倍も楽しめます。ただ、こういう言い方を専門家に近い人(その世界の中にいる人)が言っちゃうことは、結構危険なことだなぁと思います。

お茶の世界で言い換えれば、「茶の味の分からん人は、安い茶でも飲んでろ」という恐ろしい話で、そんな排他的な考えでは、お茶の”世界”が孤立して小さくなるだと思います。

往々にして、伝統産業などの「広い世界がある分野」では、排他的な考えゆえに自滅してるケースも多いんじゃないかな、と思います。

例えば、私は茶道に週1度、稽古にいってますが、家元さんは会員数が減って悩んでいるそうです。

茶道は、無形文化として、本当に素晴らしいと思いますけど、ちょっと敷居を上げすぎてる=知ってる人/知らない人を分けすぎているんじゃないかなぁと感じることがあります。いや、これは家元が悪いとか、そういう意味ではなく、空気感として、特に茶道を学ぶ前に沿う感じていました。実際、何も知らないでお茶席に行くのは、”恥ずかしい”と普通の感覚として感じると思います。

(これは実は難しい問題で、無形文化的な価値を維持するための形式美を保持することと、外の世界との境界線をなくしてカジュアルなものにすることは、ある意味で矛盾します。この問題はまたの機会に。)

改めて、お茶づくりの世界にいる自分としては、この世界の楽しさを伝えるのが、専門家としての役割なんじゃないか、と思うわけです。

はじめてお茶にふれる方にも、あぁこの世界は素晴らしい、と少しでも思ってくれる人を増やすことが、僕のライフワークなんじゃないかと思う今日このごろです。

P.S.

茶市場も、煎茶、かぶせ、玉露が終わっててん茶へ。終盤です。
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